2008年9月11日木曜日

アップル、リコメンド機能を搭載した「iTunes 8」は Genius だな

iTunes を起動すると新しいのに替えろと言うのでアップデートした。Genius なる新機能が付いている:
アップル、リコメンド機能を搭載した「iTunes 8」: "iTunes 8では、楽曲のリコメンド機能「Genius」を搭載。楽曲を選択してGeniusボタンをクリックすると、iTunes側で相性が良いと判断した楽曲を集めてプレイリストを自動で作成する。Geniusで作成したプレイリストは、9月10日に発表された新型のiPod touch、iPod nano、iPod classicに加えてiPhoneで利用できる。"
アップル(Genius)が勝手にあつらえてくれる「プレイリスト」が面白い。いろんな作曲家やジャンルの曲をまぜこぜにした変なミクスチャーなのだが、それでもおいらの好みをよく研究しているようで結構楽しめるのだ。

でも、この Genius をオンにするためにはアップル様に iTunes 内のすべてのミュージック情報を「奉納」しなければならない。別に秘密にするものでもないし、恥ずかしいこともないし、おいらは平気だが、杉並区民みたいな「個人情報絶対秘密主義者」にはちょっと抵抗あるかも知れない(あの住基ネットは便利。山中湖村で新宿区の住民票が手に入る。杉並区民はそれが出来ないので可哀想)。

アップルはこの情報をちゃっかり商売に利用している。「この曲にはこの新曲が相性が良い、これがあるともっといいプレイリストが出来るよ」と売り付けるのだ。まあ、これも顧客サービスか。

9/11 Today アジェンデ大統領爆死(1973)……もうひとつの9.11事件

「9.11」事件の日。米国での同時多発テロが有名だが、むかしむかし同じような事件が南米のチリでもあった:
サルバドール・アジェンデ - Wikipedia: "サルバドール・アジェンデ博士 (Dr. Salvador Isabelino del Sagrado Corazón de Jesús Allende Gossens, 1908年7月26日 - 1973年9月11日)は、1970年から1973年までチリの大統領。チリ国立大学の医学部を卒業した後、チリ社会党結成に参加したアジェンデは、1938年に急進党を中心とする人民戦線政府に保健大臣として入閣、その後社会党と共産党の連合である「人民行動戦線」から1958年と1964年の大統領選に出馬した。1970年の大統領選挙に、アジェンデは従来の人民行動戦線から参加政党が拡大した人民連合の統一候補として出馬し、得票率が対立候補を僅差で上回った。憲法に則り、最終決定は議会で行なわれることになった。各党はアジェンデを支持、チリ史上初の自由選挙による社会党政権が成立した。1973年の総選挙で人民連合は大統領選よりさらに得票率を伸ばした。これらの工作によるアジェンデの排除が不可能と考えた反アジェンデ勢力は、アメリカの支援と黙認の下で、武力による国家転覆を狙うようになった。

6月には軍と反アジェンデ勢力が首都のサンティアゴの大統領官邸を襲撃するが失敗した。だが、9月11日に、アウグスト・ピノチェト将軍が率いる軍が再度大統領官邸を襲撃した(チリ・クーデター)。アジェンデは軍と大統領警備隊の間で砲弾が飛び交う中、最後のラジオ演説を行なった後、軍に殺害された(自殺という説もある)。ラテンアメリカで単に「9.11」というと、アメリカ同時多発テロ事件ではなくこの事件を指す。"
大統領官邸は空軍機からのミサイル攻撃を受けて完全に破壊された。大統領官邸は市街地にあるが、まさにピンポイント爆撃が功を奏したのである。いい加減なチリ空軍パイロットにしては出来過ぎとの話もある。

テロは嫌い。テロを引き起こすのは「思いこみの強い」連中。だからなんであれ「思いこみの強い」連中は嫌い。

2008年9月10日水曜日

NHK「クールジャパン」は、とてもカッコワルイ!

夕方見ていたNHKの番組「Cool Japan」。「ニッポンはカッコイイのだぞ〜!」となんでもニッポンの風習を正当化してしまうのが番組の趣旨。ゲストの「傭われ外人」から手放しの「ニッポン賞賛発言」を引き出して自己満足し、少しでも「ちょっとおかしいのでは〜」という趣旨の発言が出ると司会のオヤジが高圧的に封じてしまうのがいつものやり方。今日は日本の台所は狭いくせにやたらに物で溢れすぎているのではないかと言うことについて。ちょっと考えさせられた。

日本家庭の台所は狭いくせにやたらに食器が多すぎるのではないか、とても雑然としているという「外人」のコメントがあった。食器にしても包丁にしても、数と種類が多すぎてとても収納できない状況になっているというのだ。やや同感。司会のオヤジはこれこそがニッポンの伝統であり現代日本の豊かさを象徴するのだと強引にねじ伏せていたが、そうでもないだろう。むしろこういう風潮こそが日本の貧しさの原因になっている象徴的な現象だと捉えるべきではないか。

中国の家庭では包丁は一本、鍋は中華鍋だけ。ドイツの家庭でも包丁は通常一本で済ましお皿の種類の一種類。それなのになんで日本の主婦はあれほど多くのお皿と包丁を買い集め狭い台所に収納しようとするのかと「外人」は疑問を呈する。それがニッポン文化だとする司会の強弁には昔の日本を知っている身としては同意できない。普通の日本家屋としてはとても贅沢な家屋である新宿の林芙美子記念館を見ればよい。彼女が凝りに凝ったという台所はとても質素だ。現代日本の台所の方が異常なのだ。

戦後、マカロニグラタンというものが日本に持ち込まれ、家庭の主婦はこぞって「グラタン皿」という一人前のグラタンを供する舟形のお皿を家族の数だけ買ったことがあった。アホだ(あんなものは日本以外では見たことがない)。それをいまだに引きずっていて外国料理にはそれなりの食器が必要だと思いこんでいるのだ。また日本の中でもきわめて特殊な料亭料理の真似を家庭でしようとしていることもある。台所が食器であふれるわけだ。ハウスメーカーはこぞって台所の収納に工夫をしてやたらになんでも収納できるようにするが、マッチポンプで追いつかない。

包丁の数にこだわるというのは、ニッポンの悪しき職人文化だ。彼らの趣味と見栄の拘りこそが流通コストを引き上げ消費者に迷惑を掛けると言うことは安土敏が20年前に喝破した事実。その職人の真似を家庭の主婦がしている。これでは救われない。

現代ニッポンの「おいしいもの」への拘りは、遡れば江戸時代の食い物オブセッションにつながる。紀田純一郎によれば、江戸時代の金持ちは、いくらお金を儲けても身分制度のおかげで己の地位の向上の機会が断たれていたため、やむなく大金をばらまく「刹那的」な消費(初物食い)などに逃避したという。現代日本でもこのような「逃避的」な消費性向が見られると云うことは、悲しいことである。

このどうでもいいことへの異常な「拘り」は、10万円のマンゴーやメロンに有り難がることに繋がり、ついでにクマしか通らない道路や釣り堀としか使っていない漁港の岸壁の建設などに貴重な資源を浪費してしまうことに繋がった。おかげでニッポンはすっかり貧しくなってしまったのである。

このような「ちょっとおかしい」ことは、外部(第三者)からでないと見えない。「ちょっとおかしいのでは……」という外人発言をNHKが高飛車に押さえつけているようでは、ニッポンの発展はないように思う。

9/10 Today 川中島の戦い(1561)……「勇猛果敢戦略不在」

昨日はほとんど単独で立ち上がり2ヶ月あまりの間に帝位を「簒奪」した剛胆な男(天武天皇)を紹介したが、今日は日本で最強の軍隊を持ちながら10年も都に攻め上ることなく「局地戦」を続け信長に天下を奪われてしまった男たちのご紹介。川中島の戦いだ:
川中島の戦い - Wikipedia: "川中島の戦いの主な戦闘は、計5回、12年余りに及ぶ。実際に「川中島」で戦闘が行われたのは、第二次の犀川の戦いと第四次のみであり、一般に「川中島の戦い」と言った場合、最大の激戦であった第4次合戦(永禄4年9月9日(1561年10月17日)から10日(18日))を指すことが多く、一連の戦いを甲越対決として区別する概念もある(柴辻俊六による)。

後年、天下統一をなした豊臣秀吉が川中島の地を訪れた。人々は信玄と謙信の優れた軍略を称賛したが、秀吉は「はかのいかぬ戦をしたものよ」となじった、という話が伝わる。狭い川中島を巡る局地戦で、信玄と謙信が兵力と10年以上の時間を浪費したため、いたずらに信長の台頭を許す結果になったと、古来、多くの論者がこの戦いを評している。それゆえに、信玄・謙信は、所詮は地方大名にすぎず、天下人となった信長、秀吉の方が器量は遥かに上であると断ずる作家や評論家は多い。"
でも日本人にはとても人気がある。なぜか?

武田と上杉の戦を示した地図を見ると、戦のほとんどは信州(長野県)で行われたことが分かる。長野県の人はエライ迷惑だっただろうが、信州は一種の「舞台」で、その舞台に武田と上杉という千両役者が登場して「見得」を切り合っていたと言うところか。歌舞伎と同じ。だから江戸庶民に人気があったのである。

その点、冷徹な戦略家であり確実に結果を出した源頼朝はあまり人気がない。ニッポン人は昔から「結果重視」は嫌いなのである。

2008年9月9日火曜日

NIKKEI :三笠フーズ、長期保管で農薬薄める? 事故米、自社倉庫に1年以上

なんかマスコミはこの事件で大いに盛り上がり。農水省はここぞとばかりに得意げ:
NIKKEI NET(日経ネット):社会ニュース-内外の事件・事故や社会問題から話題のニュースまで: "米粉加工会社「三笠フーズ」(大阪市北区)がカビ毒や残留農薬で汚染された「事故米」を食用に転売していた問題で、同社が殺虫剤「メタミドホス」が検出されたもち米について、1年以上長期保管する手法で農薬の濃度を薄めていたことが9日、分かった。カビ毒などの汚染部位を除去する手口に比べ容易で、偽装にかかる費用を抑えたうえで利ざやを得ていたとみられる。"
でも記事で紹介された専門家の見解(ネットでは省略されている)では、一年以上も倉庫で保管すれば農薬成分は揮発して無害になると言う。だったら、なんで農水省はこのコメを市場から隔離しているのだ? とてももったいないことではないのか。

無害で安いなら、おいらも買いたい。けれども買えない。農水省が隔離してしまうからだ。輸入米はわざと腐らせて処分してしまうのがあいつらのやりかた。そんなことをやっていながら、食糧危機だとか、食べ物を大切にしようとか言っているのは、片腹痛い。

9/9 Today 天武天皇没(686)……「勇猛果敢首尾一貫」

壬申の乱で勝利した大海人皇子(天武天皇)が死んだ。
天武天皇 - Wikipedia: "天武天皇(てんむてんのう、舒明天皇3年(631年)? - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))は、『皇統譜』によると第40代に数えられる天皇(在位:天武天皇2年2月27日(673年3月20日) - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。"
その決断力と行動の速さでとても魅力的な人物であった。膠着して退嬰しきった社会を改革するにはこのような人物が必要なのだ。

天智天皇からの譲位の持ちかけを陰謀と見抜き、即日頭をまるめ僧形になり近江京から吉野に逃げる。「虎を野に放てり」とはこのこと。すぐあとの672年6月24日、追っ手を避けて40名あまりで吉野を脱出。27日には関ヶ原に達し、実に数万人の兵を動員。7月23日には近江大津の朝廷軍を全滅させ、直前に病死した天智天皇の子で即位していた弘文天皇を自死に追い込む。8月25日には戦犯処分、9月15日には飛鳥に帰還、この年の12月に飛鳥浄御原宮で即位して、天武天皇となった。まさに人間業ではなかった。

柿本人麻呂はこう唱った:
大君は 神にしませば 水鳥の すだく水沼(みぬま)を 都となしつ

「天武天皇は神様だからこのような水鳥しか住まなかった沼を新しい都(飛鳥浄御原宮)に変化させたのである」というような意味だが、大海人皇子の疾風迅雷の神業に当時の宮廷人たちが絶大なる畏敬を抱いていたことが分かる。この権威は続く持統天皇にも引き継がれて行く。彼女は大海人皇子と一緒に吉野を脱出した、いわば一番最初からの戦友だから当然といえば当然。

この話はどう見ても日本史とは思えないが、日本にもこういう歴史があったのだ。若い人たちも、無能な既得権集団の日本支配はぶっ倒すという気概を持って欲しいな。

2008年9月8日月曜日

9/8 Today 明治改元 (1868)……「一世一元」で事務合理化

慶応4年のこの日、年号を明治と改めるとともに、以後、一天皇は一年号とするべきこと(一世一元の制)を定めた。
一世一元の詔 - Wikipedia"一世一元の詔(いっせいいちげんのみことのり)は、慶応4年9月8日(グレゴリオ暦1868年10月23日)、慶応4年を改めて明治元年とするとともに、天皇一代に元号一つという一世一元の制を定めた詔。明治改元の詔ともいう。原文「太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。朕、否徳と雖も、幸に祖宗の霊に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す。乃ち元を改めて、海内の億兆と与に、更始一新せむと欲す。其れ慶応四年を改めて、明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。」"
これでしょっちゅう元号を替えるという無駄が解消された。

年号を定めるようになったのは持統天皇の次の文武天皇の代かららしい。年表をみると、それまでは年号はなく天武天皇の時代とか持統天皇の時代と書いてある。文武天皇の5年目、対馬から金が出たので「大宝」と年号を定めた。以来、天災地変などを理由に頻繁に年号を改元してきた。後醍醐天皇などは8回も改元している。その都度たいへん繁雑な事務手続きがあった。でも改元しても世の中は変わる訳でもなく、時間と労力の無駄遣いだった。そのことにようやく気がついたのだ。

現代でも、いろんなところに時間と労力の無駄遣いをやっている制度が多い。でも無駄を止めると仕事がなくなってしまうので「存在するものはすべて合理的である、これは美しいニッポンの伝統だ」と屁理屈を付けて合理化に反対する既得権者が多い。困ったことである。

2008年9月7日日曜日

日経ヴェリタス:新・配当利回り革命、投資尺度の主役に……何を今さら

今週号の「日経ヴェリタス」のカバーストーリー。配当利回りが投資尺度の主役になってきたという。何を今さら! おいらは去年からそれ一辺倒でやって来たぞ。

普通の日本企業の株を持っている方が日本国債を買うより有利。おまけに「お上」はインフレになっても通常の国債の利率は上げないが(それが「徳政令」含みの国債発行の狙いだから当たり前だが)、企業はインフレになったら儲かるので配当性向を上げる。どっちが得かは明白だろう。

それでも日本国債を買う人は、日本株はまだまだ下がると見ているのだろうが、こういう「悲観主義」に陥っている人間は「非国民」と言われても仕方がない。ニッポン政府自身が「国債を買え、株は買うな」と日本国民が「非国民」になることを奨励しているとすれば、国家ぐるみの売国行為だ。

ただ、あいつらはいろいろ手段を講じてくる。世界的に見て異常に高い日本の法人税率は企業の配当性向(なかんずく配当利回り)を押し下げざるを得ないが、これもニッポンのお役人が考えた政府の借金棒引きのために国民に国債を売りつける「深慮遠謀」からかも知れない。くわばらくわばら。

とにかく、トヨタの配当利回りは2.75%。日産は4.64%。もっと配当利回りの高い株もいくらもある。ジャンクすれすれの日本国債の利回りを遙かに上回るのだ。おまけに税金が10%で済む。

4〜9月期決算企業の中間配当の権利付き最終売買日は9月の24日。今どきのバラマキ日本政治では日本株の中長期的キャピタルゲインは期待できないけれど、生きているうちに確実にリターンを手に入れたいと考える人は配当利回りの高い日本株を買うのがいいと思う。

雷が来ると新宿で衛星放送が見られない!

急に衛星放送が見られなくなった。「アンテナの接続がおかしい」とかの表示が出る。NHKのみならず他の番組でも。

雷が鳴っているから、都市部では高層ビルの関係で受信状態がよくないのかも知れない。しかし、それではあまりにお粗末だ。

NHKは高い受信料をみんなから(そのほとんどを都市住民から)ぶんだくっているんだから、この辺ちゃんと対策を考えて欲しい。富士山のてっぺんに住んでいるわけでもないのだ。

NHKは遠隔地や過疎地の受信状況改善にはばかばかお金を使って熱心だが、ニッポンの「首都」では、雷が来たり、ちょっとビルが横に建っていたりなんかすると、とたんに「公共放送」が見られない。いかに都市がNHKに軽視されているかと言うこと。世界でもニッポンだけか。山中湖では雷が来ても衛星放送はちゃんと入るぞ!

2008年9月6日土曜日

9/6 Today 黒澤明が死ぬ(1998)

今日は黒澤明の命日だった:
黒澤明 - Wikipedia: "黒澤 明(くろさわ あきら、新字体:黒沢、1910年3月23日 - 1998年9月6日)は、日本の映画監督。稲垣浩、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと共に、世界的にその名前が知られた日本映画の巨匠の一人。日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。米国映画芸術科学アカデミー会員。文化勲章受章。文化功労者。東京都名誉都民。"


映画は娯楽だから楽しければそれでいい。だからなによりも観客を楽しませることを第一に考えるべき。でも人は歳をとるとこの「サービス精神」を忘れるみたいで、晩年の名監督の映画は、えてして自己満足型に陥り、退屈なものとなってしまう。黒澤に限らないけど。

2008年9月5日金曜日

結局、マケインが勝つのだろうな

どう見てもそういう感じがする。オバマは「クロ」だからダメだとか言う議論とは別。「独立自尊」の精神が問われているのだ。

美しい言葉とかには、もううんざり。おいらのカネを他人が勝手に自分勝手に使われるのははもうごめんにして欲しい。アメリカでは、金持ちに限らず、普通の庶民ですらそう考えているようだ。むべなるかなである。

リベラルとかのインテリは、所詮、人のカネで飯を食うことしか考えていないことを米国の有権者は気がつきつつある。えらそうなことを言うなら、手前の生計費ぐらい自分で稼げ!、という大正論が勢いを増している。

ところがニッポンでは、いまだに人のカネをだましてそれで飯を食う連中がのさばっている。何も役に立っていない「お上」のお役人などがその筆頭。続くは、強力な政治基盤にものをいわせて、好き放題にみんなの税金を貪る続けるイナカ利権集団。ところが貧乏な都市大衆は自分が膨大な税金を払っていることにすら気がついていない(なにぶん源泉徴収制度が定着している)。

納税者(都市大衆)は、もっと実態を勉強して、愕然として、その実態に怒るべきだと思う。

「僕もそれが分かるまで、ずいぶん時間がかかったんですけどね」(仲代達也)

何の気なしに見ていたNHKの番組で仲代達也が名言を。対談相手の「超」おばさんが仲代の言っていることは自明のことだと言わんばかりの発言を受けて、仲代がやむなく言った言葉。これは名言である。

歳をとると、はじめて分かることが多くなる。「2001年宇宙の旅」でも主人公は急速に老いるが、でもそれで遂に真実を悟ったとして「素晴らしい!」と叫ぶ。

何が分かるのか? これは云わぬが花だ。

9/5 Today 日比谷焼打事件(1905)……戦争に勝てば儲かるはずと思っていたニッポンの庶民

日露戦争終結のためのポーツマス会議が賠償問題で難航。賠償金はびた一文も取れないと知った国民は、激高して東京市内の交番を焼き討ちするなどの暴徒と化した。戦争で勝てば戦利品を奪うのが当然と思っていたのだ。戦国時代はそうだったからね。
日比谷焼打事件 - Wikipedia"9月5日、東京日比谷公園でも講和条約反対を唱える民衆による決起集会が開かれた。そして、遂に怒りで暴走した民衆たちによって日比谷焼打事件が始まったのである。暴徒化した民衆は内務大臣官邸、国民新聞社、交番などを襲って破壊した。この時、日本正教会がロシアと関係が深かった事から、ニコライ堂とその関連施設も標的になりあわや焼かれる寸前であったが、近衛兵などの護衛により難を逃れた[1]。これにより東京は無政府状態となり、翌9月6日、日本政府は戒厳令を敷くことでようやくこの騒動を治めたのである(戒厳令廃止は11月29日)。
この騒動により、死者は17名、負傷者は500名以上、検挙者は2000名以上(このうち有罪となったのは87名)にも上った。
なお、各地で講和反対の大会が開かれ、神戸(9月7日)、横浜(9月12日)でも暴動が起こった。

この事件の背景として、これに先立つ日清戦争での戦費負担を補って大いにあまりある賠償金獲得により「戦争は勝てば儲かる」という発想が民衆(および新聞社以下マスコミ)にあったと考えられる。いずれにせよ、こうした民衆の姿勢がその後の軍部躍進の一助となった可能性はあるだろう。当時の新聞報道にも、日露戦争を起こすことで収益が上がると軍事行動を支援するような論説が多々見られた。"


あまり「民の声は天の声」なぞと考えないほうが良い例証である。

2008年9月4日木曜日

BS朝日「BBS地球伝説」は、格別によい番組

NHKが性懲りもなくしつこく放映するPC(ポリティカリー・コレクト)的エコロ番組の連続に「フェドアップ(吐き気を催して)」していたら、久しぶりに「さわやかな」エコ番組を見た。BS朝日で毎晩連続して放映しているBBC番組。エゲレス製だからいいというつもりはないが、政治的に偏向したNHKのいわゆる「エコロ番組」と比べると格段によいできだ。

地球の歴史に災害は付きもの。大規模な気候変動、火山の噴火や、台風・ハリケーン、更に山火事。それらの災害は一時的に動植物の生命に大打撃を加えるが、長期的には地球環境と動植物の繁栄にとても役に立っているという。山火事や台風がなくては現在の地球環境は守られなかったのだという。とても説得力のある具体的な説明が続く。

目からウロコの連続。大いに勉強になった。それに比べれば、NHKなどの番組は、エコに存在理由を見いだした農村(現状維持で守られている既得権益集団)やエコで飯を食っている連中の利益を代弁しようとするあまりに、「現状維持」こそがエコロだと牽強付会し地球の自然な進化を妨げているのだ。願い下げだな。

エコロおばさん達は、BBC番組を見て、もっと勉強しよう!


蛇足:明治時代の日本の人口は3000万人。同じく支那には「4億の民」しかいなかった。それがそれぞれ1億3000万人と13億人。どう見ても増えすぎでバブルだ。地球規模の大災害(あるいは大戦争)が将来起こるのは、神様が決められていることかも知れない。

9/4 Today サンフランシスコ講和会議 (1951)……首相の靖国参拝はこの条約違反になる

これでやっと第二次大戦の戦争状態が終わった。8日に平和条約を調印。米国と英国が起草した条約草案をそのまま調印したものだが、現在も有効な国際条約である。戦後の日本はこの条約から始まった。靖国首相参拝について感情的な主張をする人が多いが純粋に法律的な問題だ。靖国神社への首相参拝はこの平和条約に抵触するのである。

平和条約第19条(d)で日本は占領期間中の占領当局のすべての行為を承認している。ということは戦争犯罪人の裁判・処刑も日本国政府として承認したということである。靖国神社に祀られた一般戦没兵士を国家の代表者である内閣総理大臣が敬意を表する事はまったくおかしいなことではないが、知らないうちに日本政府が犯罪人と認定した人物が合祀されてしまった以上、話はまったく別だ。日本国の首相が自分が認定した「犯罪人」に敬意を表する事となるので妥当ではないのである。

解決方法はこれまた全く簡単。どさくさにまぎれて祀られてしまった特定の人物だけの問題であり、解決は戦犯の分祀か新たな国立墓地の新設以外ない。

(参)拙文「靖国神社問題のボタンの掛け違い」

2008年9月3日水曜日

9/3 Today オリバー・クロムウェルが死ぬ(1658)

オリバー・クロムウェル - Wikipedia"オリバー・クロムウェル(Oliver Cromwell, 1599年4月25日 - 1658年9月3日)は、イングランドの政治家、軍人であり、イングランド共和国の初代護国卿である
イングランド東部・ハンティンドン州のピューリタンでありジェントリ階級の地主の家庭に生まれる。ケンブリッジ大学で学び、1628年に庶民院議員となる。清教徒革命では議会派に属し、鉄騎隊を指揮してエッジヒルの戦いやマーストン・ムーアの戦いで活躍し、議会派が鉄騎隊をモデルに組織した新型軍の副司令官となり、ネイズビーの戦いで国王チャールズ1世をスコットランドに追い、議会派を勝利に導いた。内乱の終結後議会は軍の解散を求めるが、クロムウェルは議会派の中でも国王との妥協を赦さない独立派に属し、妥協を求める長老派と対立しており、長老派を追放したクロムウェルは独立派議員による議会を主導、1648年に再び決起したチャールズ1世を処刑し、1649年5月に共和国(コモンウェルス)を成立させた。"
チャールズ一世のクビをちょん切った「英雄」だが、マラリアで死んでしまった。

チャールズ二世が帰ってきて、クロムウェルの墓は暴かれる。生き残っていた家族は斬首刑となった。でもウェストミンスター宮殿前には、今でもクロムウェルの銅像が残されている。時々はこういう人物が出てきてめちゃめちゃやった方が、国の勢いは長続きすると言うことか。


イギリスのジェントリーとは興味深い階級である。要は封建領主だが、商工業者でもお金を払えば領地を購入しジェントリー階級に登ることができた。生産資本はみんなのために開放されていたのである。「親が農民でなければ農地は買えない」とか「親が漁師でないと漁師になられへん」とかいうどっかの国とは昔から大違いだったのだ

2008年9月2日火曜日

福田辞任に大して反応しなかった株式市場

今日の株式市場。終値こそ下落したが、当初は予想外の無反応:
Yahoo!ファイナンス - 株式ニュース - 時事通信社: "株式市場は午後の取引で状況が一変し、下値を模索する展開となった。1日夜の福田康夫首相による突然の辞任表明を受けて、「政治の空白を嫌気した日本からの資金流出」(市場筋)が懸念されたが、ふたを開けてみれば株式市場は至って冷静なスタート。一時は100円近く値上がりし、「福田首相辞任は政局の進展につながる」(大手証券)と、市場関係者からは前向きな評価も聞かれるほどだった。"
政治への「期待値」がこれほどまでに低下していたとは、正直驚き。これは楽観材料なのか、それとも悲観材料なのか。

自民党は誰がなったとして何も変わらない。民主党が天下を取ったとしても、これまたあまり変わらない。既得権集団が思いのままにエゴを主張してみんなのなけなしのお金を蚕食するニッポンはニッポンのままだ……市場はそう見たのではないか。日本市場ですらこれだから、海外市場はこの材料を全く無視。「スターリン暴落」なんて話は大昔の話。福田とスターリンとは比べられるわけもない。

自分の生命・財産は自分で守らなければいけない、今のニッポン国や政治家に期待しても無駄だ……ということだろう。

9/2 Today 「科挙」を廃止 (1905)

科挙とは隋の時代からはじまった官僚登用の試験制度。それまでにも官吏選抜の試験はあったが、主観的で情実が入りやすく、特権貴族階級に有利に行われたので、隋になって客観的で公平な試験により、もっぱら才能によって人を採用する科挙が工夫された。非常にけっこうな仕組みであるが、常にその制度の裏をかく輩が現れたので、公正を期するため様々な改革がなされ、最後はあまりにも複雑なものと化していた。

そこで清朝は遂に科挙を廃止する事となる。日本の場合、明治維新までは官吏選抜の試験はなかったが1894年に高等文官試験制度を整備して、試験による官吏の登用が始まる事となった。中国と逆行する制度の流れであった。その前段階としての大学受験制度が作られ、これがまた受験熱を煽り、その都度公平を期するための制度の手直しが何度となくなされ、日本の「公平で客観的な」受験制度も科挙と同じように複雑なものとなっている。

しかし本当の問題は受験選抜の公平さや制度の複雑性ではないのである。問題はそれが作りだす官僚制度の硬直化なのだ。ようやく日本でも肥大した官僚機構がもたらす諸問題につき認識が広がり、改革が検討されているが、いったん「身分」として既得権化してしまったお役人と「役人仕事」の合理化はなかなか前に進まない。ニッポンは中国に100年以上遅れているのである。

2008年9月1日月曜日

NIKKEI NET(日経ネット):福田首相が辞任表明へ

NIKKEI NET(日経ネット):政治ニュース-政策、国会など政治関連から行政ニュースまで: "福田首相が辞任表明へ
 福田康夫首相は1日夜、内閣総辞職する意向を固め、首相官邸での緊急記者会見で表明する。自民党は直ちに後任を選ぶ総裁選に入る見通しだ。
 福田氏は安倍晋三前首相の突然の辞任を受け、昨年9月26日に首相に就任した。在任期間は1年に満たなかった。
 自民党総裁選には麻生太郎幹事長が名乗りを挙げる見込み。同党内には非麻生候補を推す動きもあり、政局は一段と混迷しそうだ。(21:28)"
いよいよ自民党「ヒャクショウ」政権もこれでおしまい。

自民党は戦後ずっと経済界の味方であるとしながらも実質は経済合理性を無視するヒャクショウ集団の利益代弁政党であった。このヒャクショウ土着勢力の味方と経済合理性の味方を同時に演じようとしてきた戦後自民党政治の矛盾に、いよいよ耐えられなくなったと言うことだろう。あまりにも無理が多すぎた。オタク・ウヨの麻生を持ち出しても所詮小手先。今さらどうしようもない。

ようやく小沢民主党の天下だ。小沢はいままで政権を取ろうとする意欲が先行しすぎて、昨年来、既得権集団で巨大な集票軍団である日本のヒャクショウ集団への媚びを多く打ち出しすぎた。もはやその必要はない。本当の日本の国益を考えて、今までのヒャクショウ向け公約は早々に空手形として反古にするべきである。それでも十分政権は取れる。日本の将来のために小沢の「君子豹変」を期待する。

9/1 Today 関東大震災 (1923.9.1)……その日の荷風

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、關東大震災が発生。死傷者20万人以上、行方不明者4万人以上。罹災者であった永井荷風はこれをどう記録したか。

『断腸亭日乗』の当日の記録を見る。克明な描写で大迫力である。ただ『日乗』のこの数日間の記録は多分に創作性が高い(ウソが入っている)との指摘もある。たしかに別の証言と食い違う部分がある。松本哉氏は『荷風極楽』のなかで詳しく述べられている。複雑な家庭の事情が荷風をしてウソを書かせたというのだ。果たしてどうか。

まず荷風の『日乗』の記載から:
九月朔。コツ爽雨やみしが風なお烈し。空折々掻き曇りて細雨けむりの来るが如し。日将に午ならむとする時天地惣鳴動す。予書架の下に座し□□□遺草を読みいたりしが、架上の書帙頭上に落ち来たるに驚き、立って窓を開く。門外塵煙濛々殆□尺を弁ぜず。児女鶏犬の声頗なり。(中略)数分間にしてまた震動す。身体の動揺さながら船上に立つが如し。(中略)物凄く曇りたる空は夕に至り次第に晴れ、半輪の月出でたり。ホテルにて夕餉をなし、愛宕山に登り市中の火を観望す。十時過江戸見坂を上家に帰らむとするに、赤坂溜池の火は既に葵橋に及べり。(中略)葵橋の火は霊南坂を上り、大村伯爵家の隣地にてやむ。吾廬を去ること僅に一町ほどなり。

翌日の二日と続く三日は特に何もなし。余震が続くので荷風は屋内には入らず夜は庭で「露宿」したと書いています。この辺は大迫力の描写なのですが、問題はこの後・・・。
9月4日。コツ爽(朝早くという意味)家を出で青山権田原を過ぎ、西大久保の母上を訪ふ。近巷平安無事常日の如し。下谷鷲津氏の一家上野博覧会自治館跡の建物に避難すると聞き、徒歩して上野公園に赴き、所々尋歩みしが見あたらず、むなしく大久保にもどりし時は夜も九時過ぎなり。披露して一宿す。この日はじめて威三郎の妻を見る。威三郎とは大正三年以後義絶の間柄なれば、その妻子と言語を交わることは予の甚快しとなさざる所なれど、非常の際なれば已む事を得ざりしなり。

この記述について、松本哉氏の指摘は(『荷風極楽』):
  1. 荷風は日記で西大久保には一泊しただけだと言っているが、実際は数泊した。

  2. 下谷には四日の日に行ったと荷風は言うが、実際は五日に行った。

  3. 下谷に行くのに威三郎の妻が荷風に同行したがこれは書いてない。

  4. おまけに荷風は道中朝鮮人と間違われ危うく殺されるところだったのを威三郎の妻が何とか取りなした。また彼女は最後は歩けなくなった荷風を背負って帰ったのに、それも何にも書いてない。

松本哉氏は威三郎のご子息皐太郎と面談されて皐太郎氏の母上からの話としてお聞きになったとのことで、こういう省略をする荷風はあまりに冷たいではないかというもの。

まああまり格好のいい話じゃないので荷風も敢えて触れなかったのでしょう。分からないでもないです。

威三郎の奥さんの話によれば、四日の日、荷風は朝九時頃に西大久保の家に來て門を叩いたが、警戒されて誰も門を開けなかったので、荷風は午後の四時頃まで門を叩き続け、やっと中に入れたとの事(早朝麻布を出れば当然九時には西大久保に着きます)。小生としては夕方まで家に入れて貰えなかった荷風の方が可哀想だと思うけど、まあいろいろ人にはそれぞれの立場があるから仕方がないか。

ちなみにこの話は秋庭太郎の『考證永井荷風』にもっと詳しく、威三郎やその奥さんから直接聞いた話もまじえて記述があります。秋庭太郎は荷風と威三郎家の話の矛盾については淡々と記述するのみで軍配をどちらにも上げていません。でも松本哉は『考證永井荷風』の名前には触れてはいるものの「永井皐太郎の名前が川門清明となっていたりして、そのままでは引用できるものではない」と不採用とされています。

ところでこの川門清明とは誰だろう。永井皐太郎は歌人でもあるようですが、俳人に川門清明という人がいる。ひょっとして同一人物であるのかも知れない・・・。秋庭太郎が書くんだから、単なる間違いではなくなんか理由があると思うんですが、まだ分かりません。

荷風と月。荷風は大震災に当たっても月を眺めています。半輪の月といってますが、さっそく「こよみのページ」で当時の月を調べてみました。1923年9月1日の月は、月齢19.7日、月の出21時29分でした。若干誤差はありますが、おおむね荷風の描写は正確です。


(初出:2004.9.1)


荷風が大好きだった松本哉氏はもう亡くなられた。合掌。

これだけの大災害を出した東京だが、復興に当たって防災対策はほとんどとられなかった(お金がモッタイナイという理由で)。その後再び戦災という大災害にあったが、同じく防災対策は何もとられなかった(同じくお金がモッタイナイと言う理由から)。戦後、地方には空前絶後のバラマキがなされ、巨額の無駄な公共投資が浪費されたが、東京の防災対策はなかったに等しい。安全都市として東京は欧米諸国の首都と比べてもさらに北京などと比べても張るかに見劣りがする。いまだに日本にはイナカ主権主義が蔓延っているからだ。東京に大地震が起こればまた同じことが繰り返される。